幸せを感じられる体質へ

年収1億って決めて制限かけてから何年経っただろう。。

『私があなたと同じくらい稼げば、私にも物事を決められる権利があるのね』って言って、離婚が成立して早15年。

稼いでる方が偉いとか物事を決める権利があるなんて意味不明!!って思って離婚したのは若気の至り?!

いやいやそんなことない。。でも、若かったけれど世の中お金が全て!って一瞬悟った瞬間だった。。。

そして私は年収1億以上稼ぐと決めた瞬間でもあった!

そっからはすごかったな。。その目標の邪魔になるものは全て排除。マルティタスカーじゃない私は一度にひとつのことしか出来ない。。だから何となくすべてのことに制限をかけながら目標に向かっていた頃があった。

目標に到達したら幸せになれるはず!元旦那を越えられるはず!って信じて疑わなかった。

だから20代後半からはしばらくキーキーしてた。そんなどうしようもない目標に向かってがむしゃらだったな笑

でも、暖かい人たちの心に触れながらだんだんとキーキーしてちゃ手に入るものも入らないってことを学んだ。

そして日本経済界を動かすようなお金持ちの集団に巡り合う機会があった。人生はやっぱりタイミングね。そこでものすごく色々なことを学ばせていただいた。その場にふさわしくない30代前半の小娘は私だけ。それでもその場の誰も私のことを馬鹿にせず、英語ができることや国際関係について詳しいことを認めてくれ応援してくれた。今でも繋がっていられることが本当にありがたい。

もうその集団から発言されることは当時の私にとって宇宙という感じだった笑

『あら、そんなの外商に頼めばいいじゃない?』から始まり

『この着物の帯は300万だったかしら〜〜?』

『あ、これ作っていただいたのよ(エルメスの1メートルx1メートルのバッグ)』

当たり前のごとくみんなお家に住み込みのお手伝いさんが何人もいるようなマダム集団。移動は運転手付きの車。

そこで私が学んだのは決して25歳以上も年下の私を軽く扱わないマダムたちの素晴らしいところ。

いくらでも私の至らない点なんて見つけたらキリがなかっただろうに出来るところをきちんと言葉にして誉める。

私も歳を取ったらそういう女性でありたいなと思った頃が懐かしい。

お金を稼いだり生んだりするには必ず人が必要。一人ではなかなか難しい。

人脈・アイディア・資金のどれかがあってこそビジネスが成り立っていくってこともその頃学んだ。

そして時が経ち自分に制限をかけることの無意味さを知った。。

自分に対しての制限はいくらでもかけられる。決めたことを守ればいいんだから。

自分の意思を貫けばいいだけ。でもね、それをしていた時期を振り返ってみると単純にアホだったと思う。もっとキーキーしないで自分の心に素直に生きても全然大丈夫だったのにって思うわけ。そしたらもっとたくさんの人からアイディアや可能性をもらえた。

でも、それは時が経ったからわかる事。

制限をかけていたことで逃したものは正直たくさんある。オーストラリアにきた2007年からの10年。

日本戻ってKLMオランダ航空でフライトしてたかもだし、香港ベースのキャセイパシフィックでフライトしてたかもだし。でも、結局オーストラリアにいる。ゴールドコーストかケアンズに移動しようかなって本気で悩んだ時期もあったけど、それでも結局シドニーにいる。このシドニーが好きかどうかは別として。10年の間にいろいろ学んで、日本で会社を設立したりもした。でもこれって、やっぱ周りの人が支えてくれたからできたこと!

10年って何だか長そうだけどあっという間だった。

まあね、過ぎたことは所詮『過去』よ。

でもこの先はもう自分に何の制限もかけずに正直に生きていいなと今は思える。

それは人生は一回しかないから後悔することは何ひとつしたくないって思えるから。

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